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「僕も行きました。ビアホール」「立派な歯」歯医者にて

「立派な歯」  1月下旬、銚子駅近くの歯医者に行った。 今回の銚子の歯医者は、開口一番、私の歯を見て「立派な歯をしていますね。」と言う。私の年齢を外見から見て間違えたな。80過ぎの老人と思ったか?老けて見られるのは高校生のころからだが、39歳を20年以上やっているがまだ若いのだ。 話は変わるが、ここからは昔のお話です。 「僕も行きましたよ、ビアホール」 東京・荏原町の歯医者にて言われた言葉だ。この先生には一度もビアホールに行ったことなど話したことはなかった。でも、「僕も」と私がビアホールに行くのが当然だという感じで言う歯医者先生なのだ。何を根拠にそんなことを言うのだろう。ビアホールは割高だからあまり行かないのであるが、、、。治療の前に奇麗に歯を磨いているのに、口内に「ビアホール」の匂いでも残っているのかね。ビアホールは別として口の中に飲酒の痕跡が残ってしまうのだろうね。そういう意味では酒臭い歯を直してくれてありがとうと思う。それが仕事だから我慢してくださいね。(我慢しているのだろうなあ。)

21世紀の勝利者そして全員がクラス平均点以上を取れるように

  21世紀の勝利者 20世紀末から21世紀の初頭にかけて、この言葉が流行った。会社としては社員一人一人が頑張って21世紀に収益を上げる勝利者の会社になるということなのであろう。社員一人一人も各々勝利者になるように頑張るということでしたね。その時、アンリ小林はどうだったか?勝利者になるということは、敗者もいなければ勝利者になれぬ。全員が勝利者になるわけにはいかぬ。私が敗者を引き受けると心の中で思っていた気がする。口に出すと周りから咎められそうだから、黙っていたかな。敗者がいなければ勝者と呼ばれはしない。平家物語は、敗者の美学というからアンリも美学だったのね。いや敗者だっていつまでも敗者でいるわけではない。敗者復活戦があるようにいつかは復活するのだ。全員が勝者では物事は成り立たない。敗者もいれば勝者もいるというのは多様性なのかな? クラス全員がクラス平均点以上を取る ここで思い出したのは、高校時代の化学の先生のお言葉だ。「期末試験はみんな頑張って、全員がクラス平均点以上を取るように」という激励に、私はクスッと笑ってしまった。全員がクラス平均点以上を取るというのは、かなり難しい。でもない訳ではない。それでクスッと笑ってしまったのである。例えば全員が100点満点取れば、全員が平均点以上である。全員が0点でも全員が平均点以上である。全員が70点でもいい。かなり実現の確率は低い。全員が同じ点数であれば、全員が平均点以上ということであるが、実は同時に全員が平均点以下ともいえる。さらに全員が同じ点数ということは、人間のばらつきや個性、多様性を否定することでもある。この化学の先生は冗談で言っているので、多様性を否定しているわけではない。クラス平均以上ではなくて、学年平均点以上を全員が取るのであれば、これは立派でかつクラス平均以上をとることより確率は上がる。前述の21世紀の勝利者となるというのもクラス平均でなくて学年平均だったのかもね。ひょっとしたら「クラス平均」というのも私の聞き間違えで、「学年平均」だったのかもしれない。 眠れない夜に、うつらうつらしながら考えたことでした。